「写経」は般若心経の教えを浄写し、心に仏さまの慈悲の恵みを想う行です。
「写佛」は、その名の通り「仏さまを写す」という修行であります。初心者でも気軽に実践することができ、「仏さまのお姿が浮かび上がる喜び」を感じながら、自身のこころを見つめ、自分のこころに仏さまを写しだしてみませんか。仏様のお姿を常に思い浮かべながら、御真言を唱えてご祈願されることをお奨めいたします。当院では、写経・写佛の御奉納を受付させていただいております。
心経最後部ご奉納
三百円
本堂にて
(複数回に分けての完成も可)
二百円
お持ち帰り写経
般若心経ご奉納
本堂にて
(複数回に分けての完成も可)
三百円
お持ち帰り写経
五百円
御本尊ご奉納
本堂にて
(複数回に分けての完成も可)
千円
五百円
お持ち帰り写仏
御本尊
矜羯羅童子・勢多迦童子
不動三尊ご奉納
本堂にて
(複数回に分けての完成も可)
お持ち帰り写仏
千五百円
七百円
(画像は載せておりません)
般若心経の「空」について
般若心経には「色即是空(しきそくぜくう)」という詞があります。「色(しき)」〔色とは物質(もの)のことです。色情のことではありません。〕は「空(くう)」だと書かれています。よく「空」を「無」と勘違いされる方がおられます。「無」の対義語は?と聞かれると「有」と答えられますが、「空」の対義語は?と聞かれたら・・・??? となるのではないでしょうか。
「空」というのは難解な言葉ですが、ごく簡単に例えるとすべての「もの」は縁によって形を変えると言うことです。例えば、水です。熱するという縁にあえば沸騰し水蒸気となって見えなくなります。見えないから無くなってしまったのではなく、水蒸気として存在します。この見えない水蒸気が冷やすという縁にあえば水滴となって現れます。さらに冷やすと氷となってまるで形態が変わります。いったいどの姿が水?なのでしょうか? 水の本性に変わりは無いのですが縁によってこのように変化します。世の中のことはすべてこのように縁によって変化することを「空」と表現しているのです。
人は、嘆いたり悲しんだり喜んだりいたします。けれども、人の心の中に嘆き、悲しみ、喜びの一定の性が有るわけではありません。「因」に応じ「縁」が動いて仮にその姿を現すのだ、という状態を「空」と言っているのです。「因縁解脱」という言葉はここから来ています。「空」であるからこそ「因縁解脱」が可能なのです。
般若心経の最後の一文について
般若心経の解説書は何百冊とありますし、意味深長な内容を理解することはとても困難です。ただ、最後の一文「掲諦掲諦(ぎゃーていぎゃーてい) 波羅掲諦(はーらーぎゃーてい) 波羅僧掲諦(はらそうぎゃーてい) 菩提薩婆訶(ぼーじーそわか)」だけは漢字に意味は無く、サンスクリット語を音写したものです。
通常の訳では「往き往きて 彼岸に到達せり 悟りよ 幸あれ」ですが「歩めよ歩め、さあ行こう さあ皆で手に手を取り合って 清らかな幸せの世界に向かって 一緒に行きましょう。」だと意訳されてもいます。この部分だけは、ただ一心にこころを込めて祈り、誦すれば良いとされています。
写佛について
当院では御本尊不動明王様の「写佛」を体験していただけます。鳥羽上皇様の夢枕にご出現されたお姿で、結跏趺坐を解き右足を立て、立ち上がって救いに来られるお姿であります。写仏させていただくことで自身の心にお姿を写しだし、御本尊様のお力をいただくことが出来ますように、御真言を唱え、続けてご祈願されることをお勧めいたします。 合掌