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北向山不動院古絵図 2の3修正改訂版.jpg

北向山不動院

  大治五年(一一三〇年)、鳥羽上皇が難治のご病気になられ、鳥羽離宮(鳥羽離宮のページを参照してください)内に覚鑁上人興教大師(真義真言宗開祖) を招じ給い、加持祈祷を受けられました。すると、満願日の夢枕に、結跏趺坐を解き、立ち給うてお救いくださろうという不動明王様のお姿を拝され、快癒されました。当院は、上皇の勅願により、先の不動明王を皇城鎮護の為に北向に安置し、北向山不動院と号し、創建されたものです。寺伝に依りますと、近衛天皇久壽二年二月、講堂を建立され、播磨国六国の庄に於いて寺領一千国を賜り、寺運は繁栄しました。後年、応仁の乱の大乱や伏見の大地震等の災害に遇いますが、その都度再興されてきました。「北向のお不動さん」と云はれて朝野の信仰厚く今日に到っております。
 本尊不動明王は重要文化財であり密仏ですが、毎年一月十六日の鳥羽天皇の御誕生日のみ御開扉され、特別加持祈祷も行われています。当日は創建当初より今日まで採燈大護摩供が厳修される慣しであり、当日参詣者の一願はかなえられると云われております。尚、本堂での祈願御護摩は、毎週土曜日に厳修されておりますが、御縁日は、毎月三日・十六日・二十八日です。お護摩・ご縁日のどちらにも多数ご参詣ください。
  現在の本堂は霊元天皇の叡慮にて、皇子東山天皇の旧殿を賜って、ここに移築したものです。境内には、五大明王や十二支の守り本尊の石仏が安置されております。境内の東側に祭られております山王大権現は保延年中(一一三五年) 鳥羽上皇が離宮においでになった時に、竹田区内に勧請あり、竹田村の鎮守と定め賜いしもので、社は大きく高く聳え、社領もあり、例祭には神輿を御旅所にわたし、催馬楽(さいばら)(歌謡)、走馬もあって、盛儀が執行されたと伝わっております。明治十一年竹田校増築にともない府庁御検査の上、当山へ遷座の儀仰付けられ、移転勧請して当山の鎮守となされたものであります。その他、二品済深親王(霊元天皇の皇子)の銘のある名越浄味の鋳造した名鐘(一六九四年)や、北朝時代暦応年間(一三三八年)の六角の手水鉢があります。

 

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